本当にこのままでいいんでしょうか?
久々の更新になってしまった。
前回の投稿以来、「ブログの更新はまだか?」と数人の方々より、とても暖かいプレッシャーを頂戴しながらも、今日までズルズル更新できずにおりました。
だって、忙しかったんだもん。
すみません。
ま、それはそうと。
話題をガラリと変えよう。
昨日はとても貴重な体験をすることができた。
傘業界に顔の広い友人のアテンドで、傘屋さんからいろいろ話を伺うことができたのだ。
つくづく僕は幸せ者だ。
昨日もそうだけど、本当に大勢の人たちが僕なんかのために骨を折ってくれる。
傘のニュースがネットや新聞に紹介されていれば、記事のコピーやメールを送ってくれて知らせてくれたり、「傘の進捗状況はどう?」と気遣いの連絡をくれたり、また、昨日のように「傘業界に、こんな人がいるよ」と紹介してくれたり・・・と。
本当にどうもありがとう!
みんなのご期待に応えられるべく、僕は妥協なきファイトで頑張る所存ですから、どうか引き続きよろしくです^^
おっと、話がそれてしまった。
元に戻そう。
昨日聞いた話である。
僕の感想。それは・・・
やっぱり、わが国の傘作りは絶滅の危機にある!
ということだ。
おそらくは今から10年もすれば、日本じゃ傘はほとんど作れなくなっちゃうんじゃないかな。
なにしろ、職人の技を継承する後継者がいない。
最初に話を伺った傘屋さん曰く。
「傘職人の平均年齢は60歳をかるく超えてるんじゃない?」
だそうだ。
そのうえ、新しく入ってくる職人さんもいないから、そのご年配の職人さん達がいなくなってしまえば、もう完全にアウトである。日本じゃ傘は作れない。
では、なぜこうなってしまったのか?
理由は簡単である。ぶっちゃけ、日本で傘を作っても儲からないから。
だから誰も作らない。後を継がない。
原因は生活必需品としての傘の値段にある。
ビニール傘の普及なんてのも原因のひとつだろう。
いずれにしても、である。
駅の売店やコンビニで売られている傘の値段は100円、せいぜい高くても500円というのが相場である。
ところが、傘という製品はすべてをオートメーションで製造することは難しい。
製造工程には手作業が必要なのである。
となると、そこに生まれるのが人件費の問題だ。
生産地の国の人件費格差がそのまま製品の値段に反映することになるから、コストを下げようとすれば当然、人件費の安い国へと製造拠点が移ってしまう。
100円、500円の値段では、日本では到底、商売にはならないのである。
例えば、傘の生地を縫製する職人さんの場合。
仮に職人さんの時給が1000円だったとする。果たして1時間あたりで縫製できる傘は何本か?
時給分相当の生産をするためには、100円傘なら最低でも10本、500円傘でも2本製造をしなきゃならない。この数字はあくまでも職人さんの時給相当分だ。
傘の製造メーカー側としては実際にはその3倍、5倍の数を生産できなきゃまるで採算は合わない。
なにしろ傘は生地を縫製するだけじゃ完成しない。材料費や骨の製造・・・コストや製造工程は他にもあるからである。
で、そんなこんなで今の現状がある。
いまや傘の生産地の9割以上が中国だ。といっても、最近では中国も経済成長で人件費が高騰してるそうだから、ベトナムへと移ってるらしいが・・・。
ま、すべての製造業に共通することですね。
経済合理性ゆえ仕方ない。そうなのかもしれない。だけど、ちょっと立ち止まってよくよく考えてみると・・・
本当にこのままでいいんでしょうか?
とも、僕は思うのだ。だって、
・グローバル化
・経済合理性
・効率化
・大量生産
・大量消費
・・・etc
こうした言葉の結果、行き着くのは「ものづくり文化」の消失になると思うからである。
少なくとも、「傘作り」はではそれが現実になりつつある。
だから僕は、粘りたい。そして、正真正銘、メイド・イン・ジャパンの傘を作りたい。
そのために、大量生産では作れない価値。いつまでも愛着をもって使い続けてもらえる工夫。
こだわって、こだわって、こだわり抜いた意匠。
そんな傘を作りたい。いや、作らなきゃいけない。
昨日はそう感じた1日でした。
今、商品パターンをいくつか用意して、製造に入ってます。
Cominng soon!
ということで、もうちょっとだけお待ちください。詳細は随時、このブログでご報告しますんで。